大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和53年(ワ)5771号 判決 1982年10月21日

原告

甲野花子

右法定代理人親権者母

甲野梅子

原告

甲野梅子

右原告ら訴訟代理人

木下準一

井関和雄

被告

福井雅夫

右訴訟代理人

前川信夫

主文

一  被告は原告甲野花子に対し金三四八万円及びこれに対する昭和五一年四月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告甲野花子のその余の請求及び原告甲野梅子の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告に生じた費用を十分し、その七を被告の負担とし、その二を原告甲野花子の負担とし、その余を原告甲野梅子の負担とし、原告甲野花子に生じた費用を三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告甲野花子の負担とし、原告甲野花子に生じた費用は原告甲野梅子の負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は原告甲野花子に対し金五六七万円及びこれに対する昭和五一年四月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告甲野梅子に対し金五四万円及びこれに対する昭和五三年一〇月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行の宣言。

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者間の主張

一  原告ら

1  契約の存在及び本件傷害の発生

原告甲野梅子(以下原告梅子という)は昭和五一年四月九日被告との間で、被告が肩書地において経営する産婦人科医院(以下被告医院という)に原告梅子を入院させ、同原告の出産を介助し、新生児に何らの障害も与えず新生児を取上げる旨の契約(準委任契約)を締結し、同原告は出産の介助を受けるため同日入院し、同月一〇日早朝原告甲野花子(以下原告花子という)を出産したが、原告花子には被告が吸引分娩術をしたため、頭部の半分以上を占めるドーナツ型のハゲ(以下本件傷害又は本件のハゲという)が残つた。

本件傷害は、被告の出産介助行為が不完全であつたため生じたものである。

2  本件傷害が発生した経緯

(一) 原告梅子は出産時三五才の初産婦であり、従前より被告の診察を受けていたが、昭和五一年四月九日午後五時頃自宅で下着が少し濡れたのを感じ(破水したもの)、被告医院に電話して看護婦にその旨伝え、同看護婦の指示で同日八時四五分入院した。被告は不在であつたので看護婦が子宮口弛緩剤を投与した。原告梅子は午後一一時頃看護婦の指示で分娩室に移されたが、被告はその後帰つてきた。そして原告梅子を診察したが、原告梅子の子宮口は硬い状態で陣痛は二分四〇秒の間隔で二五秒持続しており、いわゆる分娩第一期の状態であつた。それなのに被告は原告梅子に陣痛の発作時に最大限にいきみ、腹圧をかけよと指示し、原告梅子はこれに従つた。

右指示に従いいきみ続けているうちに原告梅子が疲労してきたため、被告は同月一〇日午前一時五分吸引カップ(中カップ)を胎児の頭部にあて吸引分娩術を施行した(以下第一回吸引という)。その頃の原告梅子の子宮口は四指開大で、陣痛は二分間隔で三〇秒陣痛発作が継続しており、やはり分娩第一期の状態であつた。ところで右吸引器の使用は何の効果もなく、原告花子の頭皮に侵襲を残したのみで、中止された。

同日午前四時頃、原告梅子の子宮口は全開大し、陣痛は二分間隔で三〇秒継続の状態でありいわゆる分娩第二期に入つた。そして被告は吸引カップ(大カップ)を胎児の頭部に当て吸引分娩術を行い(以下第二回吸引という)、原告花子を出産させた。

(二) 出産直後の原告花子の頭部は髪の毛に血がこびりついており、その後も少しずつ出血が続き原告花子の寝ていた枕カバーには血がつくほどであつたのに、被告は原告花子の入院中全く手当をしなかつた。原告梅子と原告花子は同月一七日被告医院を退院したが、退院後髪の毛と血がくつついて固まつている皮膚の下にうみが溜まるようになつた。そこで梅子は吉田外科で原告花子の治療をしてもらい、その傷はなおつたが、頭部の半分以上を占める本件傷害が残つた。

3  原告花子に本件傷害が生じたことについて被告には次のような過失があるから本件傷害により生じた損害を賠償すべき義務がある。

(一) 原告梅子は当時三五才で初めての出産であつたが、このような高年令初出産にあつては経膣分娩によるにしても頸管、子宮口等の柔軟さ、進展性に劣るものがあるから、いつでも帝王切開に切換えうるよう諸設備をととのえて出産に臨むべきであるのに、被告はこれを怠り、右措置を講じなかつた。

(二) 被告は昭和五一年四月九日午後一一時頃はいわゆる分娩第一期の状態であつたから、原告梅子に静かに深い呼吸を行なわせるようにして子宮口の全開大をまつべきであつたのに胎児の分娩に何の効果もなく、かえつて有害な腹圧をかけよと指示した結果原告梅子を無用に疲労させてしまい、第一回吸引の措置を余儀なくしたもので、右指示自体に過失がある。

(三) 吸引分娩の適応は、陣痛微弱で他の促進法で十分な効果がなく、回旋、定位の異常があるなどで分娩第二期が著しく遷延している場合で、これに伴い母体の疲労が甚しく、または種々の異常が発生した時など、又胎児仮死、胎児出血、臍帯脱出を来たした場合などであるのに、被告は四月一〇日午前一時五分、分娩第一期で吸引分娩の適応がないのに漫然これを行つた。

4  損害

(一) 原告花子の傷害

(1) 手術費用 金一二〇万円

本件のハゲを小さくするため四、五才頃から成人になるまで四回の縫縮術等の手術を受ける必要があり、一回の手術に要する費用は三〇万円である。

(2) カツラの費用

金一八四万円

原告花子は本件のハゲのため帽子をかぶらなければ外出できない状態であり、また前記の手術を受けても脱毛部の七〇パーセントが除去できるにすぎず、一生カツラが必要であるとも言えるが、一般的な心理的必要性も考えてカツラが必要な期間を物心のつく四才からあまり容姿を気にしなくなる五〇才までとするのが相当と思料する。カツラは一個約八万円でその耐用年数は約二年である。

(3) 慰藉料 金二五九万円

本件のハゲは女子の外貌に醜状を残すものとして障害等級一二級(自賠法施行令二条)に該当するもので、自賠責保険後遺症保険金額の八〇パーセントである金一六七万円が相当である。

そして原告花子は成人になるまで四回の手術を受け、この各回の入院期間は約一ケ月であるところ、入院一ケ月の慰藉料は金二三万円を下ることはないから四回の手術につき金九二万円となる。

(二) 原告梅子の損害

金五〇万円

原告らは母一人子一人の母子家庭であるが、女の子供が前記の様な後遺障害を受けたことによる原告梅子の精神的損害は甚大なものであり、これを慰藉するためには金五〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用 金八万円

原告らは無資力であるため本件訴訟を提起するに当り財団法人法律扶助協会大阪支部より訴訟費用二万円、弁護士手数料六万円の立替を受けている。右損害は原告梅子と原告花子が四万円ずつ負担しなければならない。

5  よつて被告に対し原告花子は不法行為に基づく損害賠償として右損害金合計金五六七万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五一年四月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告梅子は不法行為及び債務不履行に基づく損害賠償として、右損害金合計五四万円及びこれに対する不法行為の日の後であり、かつ本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五三年一〇月三一日から支払済みに至るまで同じく年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。

二  被告

1  請求原因1の事実中ハゲが頭部の半分以上を占めていること、右傷害が被告の出産介助行為が不完全であつたため生じたことはいずれも否認するが、その余の事実は認める。

2  同2の(一)の事実中原告梅子が出産当時三五才の初産婦であり、昭和五一年四月九日午後五時頃破水したこと、同原告が同日夜に入院した時被告が不在であつたこと、看護婦が子宮口弛緩剤を投与したこと、原告梅子を同日午後一一時頃分娩室に移したこと、被告が翌一〇日午前一時五分第一回吸引を施行したが、効果がなかつたので吸引を中止したこと、同日午前四時一〇分ないし一五分頃から第二回吸引を行い、原告花子を出産させたことは認めるが、その余の事実は争う。

同(二)の事実中原告花子に本件のハゲが残つたことは認めるが、その余の点は否認ないし争う。

本件の経緯は次のとおりである。原告梅子は昭和五〇年八月一九日被告の初診を受けたが、妊娠二ケ月と三ケ月の間で出産予定日は昭和五一年四月三日であつた。その後原告梅子はほぼ一ケ月に一回の割合で被告の定期検診を受けていたが、一〇ケ月目で三八週にあたる昭和五一年三月一九日の検診の際、児頭位が少し下降し子宮口が少し開いていた。そこで被告は子宮口軟化のためエストリールを注射し、原告梅子に帝王切開を希望するか問うたが、同女は帝王切開は嫌だと答えた。原告梅子が次に来院したのは予定日を経過した同年四月七日であり、その際児頭は下降して子宮口は二指開大し、同月九日陣痛が発来して午後八時四五分被告医院に入院した。

被告は原告梅子が入院した時不在であつたが、ポケットベルを携帯しており、看護婦から呼出を受けて電話連絡し、詳しく様子を聞いて入院や注射等の指示をし、その後も二回程電話して投薬や分娩室に移す指示をしたうえ、午後一一時頃、被告医院に帰つて直ちに原告梅子を診察している。原告梅子が入院した時、子宮口は二指開大し、既に破水していたので看護婦は抗生物質、(アミペニック二五〇ミリ)とともに子宮口弛緩剤(エストリール)を注射した。そして午後九時には一五分毎にあつた陣痛が午後一〇時頃には三分間隔と急速に早まつてきたが、いまだ子宮口が硬かつたので子宮口弛緩剤(ラボナ)三錠を投与した。そして午後一一時頃には陣痛間隔が更に短かくなつてきたので原告梅子を分娩室に移し和痛のため陣痛時のみウォルトンV麻酔器で酸素、笑気各五〇パーセントの軽度の麻酔を施した。

翌一〇日午前一時には子宮口は全開大に近い状態となつたが、妊婦の苦痛が激しかつたので午前一時五分より吸引器(中カップ)を用い圧力四〇〇ないし五〇〇mmHgで陣痛発作時のみ四、五回(一回各二〇秒くらい)吸引を試みた。通常この段階で吸引すると産婦の上からの怒責による腹圧と下からの吸引により一五分ないし二〇分位で分娩することが多い。ところが原告梅子は被告の指示に従つて怒責せずあばれたりして協力しないので効を奏せず、被告は止むなく一旦吸引を中止ししばらく経過をみることにした。

第一回吸引を中止した後しばらく経過をみていたが、午前三時すぎても原告梅子は被告の指示に従い腹圧をかけて怒責するということを全くせず、陣痛発来のたびに痛い痛い殺せと叫び身体をゆすつて荒れるだけで、このまま経過すれば胎児の死亡又は脳内出血、脳内貧血による脳性麻痺等が懸念される状態となつたので、被告は午前四時一〇分ないし一五分頃から陣痛発作時に第二回吸引を行い(圧力は前同様四〇〇ないし五〇〇mmHg)、その結果午前四時三三分原告花子を出産させたのである。果して原告花子は出生時第二度仮死の状態で酸素吸引等の処置によりかろうじて蘇生したが、分娩の遷延と吸引器使用により児頭は長くなり頭頂部はかなり大きな産瘤が形成されていたので、被告は化膿防止のため抗生物質を注射した。

原告らは同月一七日被告医院を退院したが、被告は退院までの間毎日原告花子を沐浴させ、頭部の産瘤の治療をし、退院後原告花子の産瘤は大体治ゆしていたが、五月一五日乳児検診に原告梅子が原告花子を連れて被告医院に来た時産瘤のあとがドーナツ型のハゲになつていたので、被告は原告花子に安藤整形外科を紹介した。

3  同3の(一)の事実中原告梅子が三五才の初産婦であつたことは認めるが、原告主張の措置を講ずる注意義務があることは争う。同(二)の指示をしたことは否認する。同(三)の過失があつたという主張は争う。

午前一時には子宮口は全開大に近い状態となつており、原告梅子の苦痛が激しく既に約二時間その状態が続いていたため、はなはだしく疲労していた上、原告梅子は高令初産婦であつたので、分娩が遷延する可能性は十分予想された。そしてその場合は既に骨盤腔内に入つている児頭が圧迫されて胎児に頭蓋内出血等の危険が生ずることがありうるので被告は吸引に踏み切つた。

又吸引分娩の適応は原告主張の場合に限られるものではなく、他に無痛分娩時の使用、予防的使用(産道による児頭の圧迫時間を可及的に短縮し、母体の心身の緊張、疲労を軽減する)、子宮口開大前使用(分娩第一期子宮口開大前から装着し、陣痛と同期的に牽引して子宮口を開大させる)も含まれる。そして被告の右吸引は予防的使用に該当するもので何ら非難されるいわれはない。

4  同4の(一)の事実中本件のハゲを小さくするため縫縮術等の手術が必要であることは認めるが、手術の回数や入院期間については知らず、その余の主張は争う。手術によつてハゲはほとんどなくなる。なお右手術費用及びカツラの費用は原告らが児童福祉法二〇条一項の規定を受けた大阪府身体障害児育成医療給付実施要綱にもとづく所定の手続をとることによつてすべて無償となり、原告らは出費の必要がなくなる。

同(二)の事実中原告らが母一人子一人の母子家庭であることは認めるがその余の主張は争う。

同(三)の事実は知らない。

第三  証拠<省略>

理由

一契約の存在及び本件傷害の発生

原告梅子が昭和五一年四月九日被告との間で被告医院に原告梅子を入院させ、同原告の出産を介助し、新生児に何らの障害も与えず、新生児を取上げる旨の契約(準委任契約)を締結し、同原告が出産の介助を受けるため同日被告医院に入院し、同月一〇日早朝原告花子を出産したこと、原告花子には被告が吸引分娩術を施行したため頭部にドーナツ型のハゲが残つたことは当事者間に争いがない。

原告主張の写真であることに争いがない<証拠>によれば、右ハゲの程度は頭部の三分の一程度と認められ<る。>

二本件の経緯

原告花子が出産当時三五才の初産婦であつたこと、昭和五一年四月九日午後八時四五分被告医院に入院したが、入院時被告が不在であつたこと、原告梅子は同日午後一一時頃分娩室に移され、翌一〇日午前一時五分被告が第一回吸引を施行したが、その効果がなかつたので、これを中止したこと、更に被告が同日午前四時一〇分頃から第二回吸引を行い、原告花子を出産させたこと、本件のハゲが被告の吸引分娩術によつて発生したことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に<証拠>を総合すれば、

1  通院中の経緯

原告梅子は昭和一五年九月八日生れで、本件分娩時は三五才であつたが、昭和五〇年八月一九日被告医院に行き、被告から妊娠二ケ月と三ケ月の間(分娩予定日昭和五一年四月三日)と診断された。以後ほぼ一ケ月に一回の割合で被告の定期検診を受けていたが、昭和五一年三月一九日の検診の際、児頭位が少し下降し、子宮口が少し開いていた。そこで被告は原告梅子が三五才の初産婦であつたので、子宮口軟化のため子宮口弛緩剤エストリールを注射した。予定日を経過した同年四月七日の検診では頸管がまだ固いのでエストリールの注射と鈍性頸管拡張をした。その時児頭は下降して子宮口は軟化し、二指開大(二指開大とは子宮口の開き具合を指の幅で表示したもので、五指開大が全開の状態である)の状態であつた。

2  入院から分娩室に移されるまで

同月九日午後五時頃原告梅子は自宅で下着が少し濡れたのを感じ破水したものと判断し、被告医院に電話して婦長にその旨を伝え、婦長の指示で同日午後八時四五分被告医院に入院した。被告は原告梅子が入院した時は不在であつたが、看護婦からポケットベルによる呼出を受けて連絡し、その後も二回程電話して以下の投薬や注射の指示をしたうえ、分娩室に移す旨看護婦からの電話を受け、午後一一時すぎ被告医院に帰つて原告梅子を診察した。

入院時は婦長が原告梅子を診察したが、子宮口は二指開大しており、被告の指示により化膿防止のため抗生物質(アミペニックス二五〇ミリ)を、頸管を軟かくするため子宮口弛緩剤(エストリール一〇ミリ)をそれぞれ注射した。そして午後九時頃陣痛(分娩に際しての子宮洞筋の不随意的周期的な収縮のこと)がはじまり、その間隔は一五分であつたが、午後一〇時頃には三分と急速に早まつてきたが、子宮口が硬かつたので、午後一〇時半、ラボナ(子宮口弛緩の作用と痛み止めの作用とがある)三錠を投与した。そして午後一一時頃原告梅子が病室で痛い痛いと大声を出すので分娩室に移し、それ以降原告花子の出産まで和痛のため陣痛時のみウォルトンV麻酔器で酸素、笑気各五〇パーセントの軽度の麻酔を施した。

3  被告の指示と第一回吸引の施行

午後一一時頃原告梅子の子宮口は硬い状態で陣痛は二分四〇秒間隔で二五秒持続していたが、被告は原告梅子に陣痛の発作時に最大限にいきみ、腹圧を加えるよう指示し、又看護婦二名が原告梅子の出産に立会つたが、看護婦は被告の指示により、原告梅子のお腹をさすつて腹圧のかけ方を指導し、原告梅子は右被告と看護婦の指示に従つた。原告梅子は痛みに敏感な方で陣痛を極度に痛がり、又被告の指示に従い、午後一一時から腹圧をかけていたため翌日の同月一〇日午前一時頃には非常に疲れた状態となつた。被告は原告梅子があまりに痛がるので痛み止めのためブスコバンとラボナ二錠を投与した。午前一時の原告梅子の子宮口は四指開大で、陣痛は二分間隔、三〇秒持続であつた。被告は原告梅子が非常に痛がり、二時間のいきみ(腹圧をかけた)のため疲労しており、子宮口が四指開大していたので、午前一時五〇分吸引カップ(中カップ)を胎児の頭部に当て圧力四〇〇ないし五〇〇mmHgで陣痛発作時のみ五、六回吸引を試み、その際看護婦は原告梅子に腹圧をかけるよう指示したが、吸引器の使用が早すぎた上、原告梅子は痛みと疲労のため腹圧を十分かけられなかつたため、出産に至らず、児頭に侵襲を残したのみで右吸引は中止された。又胎児の回旋異常は認められなかつた。

4  第二回呼引による原告花子の出産

第一回吸引を中止した後被告はしばらく経過をみていたが、午前三時頃原告梅子が痛がつて暴れたため、ルミナール(鎮静剤、睡眠剤)を投与した。午前三時半頃原告梅子は痛みに耐えられなくなつて興奮した状態で被告に帝王切開して欲しいと言つたが、被告は既に子宮口が開いていて帝王切開はかえつて危険なのでできない、もうすぐ産まれるから吸引した方がよいと説明した。午前四時頃原告梅子の子宮口は全開大の状態となり、陣痛は二分間隔で三〇秒継続で、いわゆる分娩第二期(子宮口全開大から胎児娩出まで)に入つた。分娩の遷延による胎児の死亡又は脳内出血による脳性麻痺等が懸念されたため、被告は午前四時一〇分ないし一五分頃から陣痛発作時に吸引カップ(大カップ)を胎児の頭部にあて、圧力は四〇〇ないし五〇〇mmHgで一〇回くらい吸引し、会陰切開をして午前四時三三分原告花子を出産させた。原告花子は出生時呼吸が弱く、第二度仮死の状態で酸素吸引等の処置により蘇生した。又二度の吸引により児頭は長くなり、かなり大きな血腫が頭部にできていたので、ヨーチンで消毒したうえ、化膿防止のため抗生物質(アミベニツクス一二五ミリ)を注射し、又強心剤(エホチール)も注射した。

5  原告花子の治療

被告は同月一一日原告花子の呼吸が悪かつたので、沐浴させなかつたが、同月一二日から一五日まで毎日原告花子を沐浴させ、頭部の傷を洗つて消毒する等の治療をした。原告梅子と原告花子は同月一七日被告医院を退院したが、原告花子の頭部の傷は大体治ゆしており、かさぶた様の痂皮が残つていた。その後、頭部に膿がたまるようになつたので、原告梅子は吉田外科で原告花子の治療をしてもらい、頭部の傷はなおつたがその傷跡が頭部の三分の一位のドーナツ型のハゲになつた。

以上のことが認められ<る>。

三被告の責任

1  まず原告らは原告梅子が三五才の高令初産婦であつたから経膣分娩によるにしても、いつでも帝王切開手術が行なえるよう準備しておくべきであつたのに、これをしなかつた点に過失があると主張するので、検討する。

鑑定人麻生武志の鑑定の結果(鑑定書添付の参考文献(1)現代産科学大系19産科手術学、中山書店、(2)綜合産科婦人科学、医学書院)によれば

(一)  帝王切開の適応は母体又は胎児に生命の危険が発生するか、又はほぼ予知しうる場合で、これを治療の第一選択とするものと状況しだいで行うものとに分類される。

(二)  第一選択とするものは、狭骨盤、児頭骨盤不均衡、全前置胎盤、切迫子宮破裂、常位胎盤早期剥離、胎位の異常などにより経膣分娩が不能な場合である。

(三)  状況しだいで行うものは、更に母体側適応、胎児側適応、社会的適応に分類されるが、その具体的な場合は次のとおりである。

母体側適応は軟産道の強靱(高年初産)などによる分娩の進行の異常、既往帝王切開で子宮破裂の危険が大きいとき、子宮筋腫、卵巣腫瘍、双角子宮などの合併によつて分娩障害や分娩遷延し、ほかの処置にても進行しないとき、合併症に対し著しい血圧の上昇や脳圧の亢進などが好ましくないとき、発熱、Rh不適合妊娠(交換輸血の準備が必要な場合)である。

胎児側適応は胎児仮死で安全な経膣分娩が不可能な場合、反屈位、顔位などの胎勢異常で経膣分娩が不可能な場合、臍帯脱出で安全な経膣分娩が困難な場合である。

社会的適応は産婦や家族が帝王切開を熱望する場合、医師が自己の産科的技能を考慮したうえで帝王切開が経膣分娩より安全と判断した場合である。

以上のことが認められる。原告梅子が三五才の高令初産婦であることは当事者間に争いがないが、原告梅子の出産のため入院するまでの経過は前記二の1認定のとおりであり、原告梅子に帝王切開を不可欠とする状況があつたものとは認められないから、被告には帝王切開の準備をなすべき義務はない。その上入院してから出産までの経過も前記二の2ないし4認定のとおりであり、その間にも帝王切開によるほかなかつたという状況が生じたものとは認められず、児頭が既に完全に下降している状態で帝王切開をすることは感染の危険性等却つて危険性が大きいとも考えられる。以上の次第で原告らの主張は失当である。

2  次に原告らは被告が午後一一時頃、分娩第一期の状態であつたのに、腹圧をかけるよう有害無益な指示をしたと主張するので判断する。

<証拠>によれば、分娩第一期は規則的陣痛発作から子宮口全開大までをいうが、分娩第一期においては医師は産婦の一般状態、陣痛、児心音を監視しながら、原則として待機的に取り扱うことを旨とする、又第一期に腹圧(腹壁諸筋、横隔膜筋、骨盤底諸筋を収縮緊張することにより腹腔内圧を高めること)を加えることは分娩を進行させる意義は少ないのに産婦を疲労させ、早期破水をまねきやすいという害あつて益のない行為として禁じられており、この点は産科学における最も基本的な事項であつて、産婦人科医としては当然知つていなければならないことであると認められ、右認定に反する証拠はない。前記二の2、3認定のとおり原告梅子の子宮口は入院時二指開大しており、翌一〇日午前一時で四指開大となつており、その間の午後一一時頃原告梅子の子宮口は硬い状態で陣痛は二分四〇秒の間隔で二五秒持続していることが認められるので午後一一時頃は分娩第一期の状態にあつたものと認められる。前記二の3認定のとおり被告は分娩第一期である午後一一時に、子宮収縮に時間をかけて進行をはかることなく原告梅子に陣痛の発作時に最大限いきませ腹圧を加えるよう指示したものであつて、過失がある。

3  次に原告らは被告が吸引分娩の適応がないのに、四月一〇日午前一時五分に吸引分娩術を行つた過失があると主張し、他方被告は原告梅子の子宮口が四指開大と全開大に近い状態となつており、原告梅子の苦痛が激しく、はなはだしく疲労していた上、原告梅子が高令初産婦であつたため、分娩が遷延する可能性が予想されたので吸引分娩を行つたもので、これは予防的使用に該当すると主張するので、以下判断する。

(一)  <証拠>によれば次の事実が認められる。吸引分娩の適応は母児のいずれか一方あるいは両者に生命の危険が迫り急速遂娩を必要とする場合である。即ちその適応は(1)陣痛微弱で他の促進法で十分な効果がなく、回旋、定位の異常があるなどで分娩第二期が著しく遷延している場合で、これに伴い母体の疲労が甚しく、又は種々の異常が発生した時など、又胎児仮死、胎児出血、臍帯脱出を来たした場合などである。(甲第二号証三二五ページ、鑑定書添付の参考文献(3)産科手術、真柄正直著、文光堂、一五一〜一五三ページ、同(4)図解産科手術学、金原出版株式会社二四、二五ページ)。その他に(2)無痛分娩時に使用する、(3)予防的使用(産道による児頭の圧迫時間を可及的に短縮し母体の心身の緊張を軽減する)、(4)子宮口開大前使用(分娩第一期子宮口全開大前から装着し、陣痛と同期的に牽引して子宮口を開大させる)を吸引分娩の適応に加えているものもある(参考文献(1)現代産科婦人科学大系19産科手術学、中山書店二一九ページ、同(5)新撰産科学、金原出版株式会社一〇六三ページ)が、(2)ないし(4)は非常に特殊な場合にのみ適応となるものであつて一般的ではなく要約を十分に検討して乱用は慎しむべきものである(参考文献(6)写真でみる周産期の母児管理、南山堂五三五ページ)。

(二)  ところで前記二の認定とおり被告が午前一時五分に吸引分娩に踏み切つたのは、原告梅子が非常に痛がり、又二時間の怒責のために疲労していたためであるというのであるから、被告は母体の疲労が強い場合として吸引分娩の適応があると判断したものと解されるが、吸引分娩は原則として分娩第二期において母体又は胎児に切迫した生命身体の危険が迫り急速遂娩を必要とする場合に適応が認められるところ、前記のとおり午前一時には子宮口は四指開大(約八センチ)であつて、分娩第一期の状態である上、本件全証拠によるも原告梅子及び胎児に生命身体の危険が迫つていたことを認めるに足りる証拠はない(カルテ(乙第一号証)には胎児についての判断の根拠となる胎児心音の記載が一切ない)し、羊水の状態も不明である。

これらの点を総合すると被告は吸引分娩の適応がないのに、これを行つたもので、この点において過失があると解される。

四吸引分娩によるハゲの発生の認識

前記鑑定書には本件のようなハゲの発生を吸引分娩の施行前に予知することは困難であるとの記載があるが、吸引分娩の胎児に及ぼす影響として鑑定書添付の参考文献(1)二二四ページには頭皮剥離、頭血腫などの損傷をきたす場合がある旨、同(2)三五七ページには頭血腫の形成は稀ではない旨、同(5)一〇六四ページには頭血腫の発生頻度が高い旨の記載がある上、被告本人尋問の結果によつても、被告は吸引分娩によつてハゲができることは十分認識していたのであるから、右鑑定書の記載は採用できず、被告はハゲができるかもしれないということは十分認識していたものである。

五被告の過失と損害との因果関係

被告が午後一一時の段階で出した腹圧をかけよとの指示及び午前一時五分に施行した第一回吸引はいずれも当時の医学水準に照らしなすべきではなかつた医療行為であつて違法である。そして右過失行為により、原告梅子を著しく疲労させ、又原告花子の頭部に無用の侵襲を加えた末、遂に四月一〇日午前四時一〇分ないし一五分から第二回吸引を行なわざるをえなくしたものである。そしてこれにより原告花子の頭部に本件のハゲを生じさせたものであつて、被告の右過失とハゲの発生との間には相当因果関係がある。

以上の次第で被告は右過失によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

六損害

(一)  原告花子の損害

本件のハゲを小さくするため縫縮術等の手術をする必要があることは当事者間に争いがない上、原告梅子本人尋問の結果によれば、原告梅子は同花子に是非とも右手術を受けさせたいと願つていることが認められる。

<証拠>によれば、原告花子のハゲを小さくするための手術は二回必要で、右手術によつても数ミリの脱毛部は残るとされ、<証拠>によれば、手術回数は三、四回で右手術によつて脱毛部の七〇パーセントが除去されるとされていることが認められるので、当裁判所は少なくとも手術の回数は二回必要なものと認める。

(1)  手術の費用 金六〇万円

右認定の事実によれば手術回数は二回で、前記甲第三号証によれば一回の手術費用は三〇万円であると認められるので、合計六〇万円となる。

(2)  カツラの費用 金六四万円

<証拠>によれば、現在原告花子は本件のハゲのため帽子をかぶらなければ外出できない状態であり、前記の手術を受けてもなおいくらか脱毛部分は残ること、最終手術は美容の点を考慮すると成人になつてから行う方が良いと診断されていることが認められ、右認定に反する証拠はなく、最終手術を成人になつてから行うものとすると、少なくとも成人になるまではカツラは必要である。それ以後カツラの必要性は、最終手術によつて脱毛部の七〇パーセントがとれるのみ(甲第四号証)なら必要性は認められるが、そうでなく数ミリの脱毛部分が残るだけ(甲第三号証)なら、必要性は認められない。当裁判所はどれだけハゲが小さくなるかは将来の予測の問題で現時点においては厳密に確定しえないが、女性の場合は成人すれば頭髪にパーマをかけたり、髪型を工夫することによつていくらか残るかもしれない脱毛部分を隠すことができるものと思料されるので、カツラが必要な期間は四才から二〇才までの一六年間とし、<証拠>によれば、カツラは一個八万円で耐用年数は二年と認められるので、カツラに要する費用は合計六四万円となる。

なお被告は(一)(二)の手術費用、カツラの費用は原告らが児童福祉法二〇条一項の規定を受けた大阪府身体障害児育成給付実施要綱にもとづく所定の手続をとれば無償となるから、損害はないと主張するが、右要綱は社会福祉の一環として定められたものであつて、原告梅子において所定の手続をとれば出費の必要はなくなるが、それをするかどうかは原告梅子の自由であるし、現に同原告において右給付を申請し、右医療給付を受けたことを認めるに足りる資料はないから、単に右要綱が存在するからといつて、本件のハゲが、被告の前記過失行為によつて発生したにもかかわらず、被告が右損害賠償義務を免れるものとは到底解されず、被告の右主張は理由がない。

(3)  慰藉料 金二二〇万円

本件のハゲは女子の外貌に醜状を残すものであつて障害等級一二級(自賠法施行令二条)に該当するものであり、原告梅子本人尋問の結果によると、前記手術はかなり大きくなつてからでないと施行できないものであることが認められ、その間かなり長期に亘つて現在のハゲの状態が続くことになり、その後の手術によつても完全にハゲはなくならず、カツラを着用するにしても日常生活の不便さは明らかであり、また弁論の全趣旨によると、右手術には一回につき約一か月の入院が必要であることが認められ、これらの事情を総合すると、原告花子の被つた精神的損害を慰藉するには、金二二〇万円をもつて相当と思料する。

(二)  原告梅子の損害

原告梅子は原告花子の母親として本件のハゲによる精神的苦痛を慰藉するため金五〇万円を請求しているので検討する。まず被告梅子との間に同人の出産を介助し、新生児に何らの障害も与えず取上げる旨の契約を締結したことは当事者間に争いがなく、前認定のとおり過失により、右出産介助をする債務の不履行をしたものである。

同時に右請求は被告の原告花子に対する不法行為を原因とした慰藉料請求とも解されるところ、被害者の父母が慰藉料請求権を有するのは被害者が死亡にも比すべき傷害を被つた場合に限られる(最判昭和三三年八月五日民集一二―一二―一九〇一)ものと解される。本件のハゲはカツラ等の着用により人目につかなくすることもできるし、縫縮術等によりかなり小さくすることができること等を考慮すると、原告花子の生命が害されたと同等程度の傷害を被つたものとは認められず、原告梅子は慰藉料請求権を有しないものと解される。

(三)  弁護士費用

原告花子につき金四万円

原告梅子には損害はないのであるから、原告梅子の弁護士費用の請求は理由がない。次に原告花子の弁護士費用につき検討するに、本件記録及び弁論の全趣旨によれば原告らは無資力のため本件訴訟を提起するに当り財団法人法律扶助協会大阪支部より訴訟費用二万円、弁護士手数料六万円、合計八万円の立替を受けていることが認められるところ、本件訴訟の難易、請求額および認容額、原告花子が弁護士費用として請求している額等に照らすと、被告が負担すべき弁護士費用は金四万円が相当である。

七結論

以上の事実によれば、原告らの本訴請求は原告花子が被告に対し金三四八万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五一年四月一一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、原告花子のその余の請求並びに原告梅子の被告に対する請求は失当であるのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用し、仮執行宣言につき同法一九六条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(岡村旦 熊谷絢子 大工強)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例